熊本県テコンドー協会

『回想〜くまもとのテコンドー〜』は月一回の更新で連載しています。  一覧はこちら

回想 〜くまもとのテコンドー〜

  • 熊本県テコンドー協会
  • 会長 樋口 悦夫

夢は空手の先生

産山での幼少時代から、同級生や近所の幼ななじみとチャンバラ遊びや、プロレス遊びで明け暮れた私でしたが、内牧に来てからも、当時の人気TV番組「姿三四郎」にあこがれ、中学では、柔道部に入部しました。しかし、大柄でもなく痩せていた私は、試合に出場しても中々勝つことが出来ず、体力の限界も感じていた中、あのテレビで観た「韓国空手テコンドー」のカッコよさを思い浮かべ、「体格にあまり関係なく強くなれる格闘技、そうだ、空手がある、空手をやりたい」と考え、空手道場を探しましたが、当時の私の住む町には、残念ながら空手道場はありませんでした。そこで、当時としては、珍しかった空手の通信教育を始めることにしたものの、教材片手では、実際の動きが思うように理解できず、中学3年の時、近所の旅館のご主人が沖縄空手の先生だったと聞き、さっそく、お願いをしに伺いました。

主人は、時間が取れる時に教えてもいいと言うこととなりましたが、実際には数回程度で、あまり多くを教えてもらうことはありませんでしたが、実際に打撃系の格闘技「空手」を最初に学んだ良き経験とりました。そんな中学時代の私の夢は空手の先生となり道場を開く事でした。

高校空手部に入部

空手への思いは収まらず、志望高を決める際の条件として、空手部のある高校を受験しようと思っていました。昭和47年、熊本市にある私立東海大二高校へ入学、念願の空手部に入部することが出来ました。

当時の東海二高校空手部には、部員数が30名程いたと思います。入部まもない新入部員は、毎日々基礎体力づくりに明け暮れ、いつになったら空手の技を教えてもらうのか、多少苛立ちもありましたが、後になれば、あの時の厳しい体力訓練が、大事であったことを、理解出来ました。

当時、先輩の言うことは絶対でしたので、1日でも練習を休めば、愛のムチを頂戴することも多く、全体責任として色々と痛いこともありましたが、今となっては、良き思い出でとなっています。東海二高には、OB会が現在もあり、年1回のOB会では、飲みながら当時の事を思い出しては盛り上がっています。

高校空手は、高校総体の種目ですので、(財)全日本空手道連盟のルールに従って競技が行われますが、私が、最初に試合を見た時に、正直、これが空手の試合かと少しがっかりしました。それは、小学生の時に観たあのテコンドーの蹴り技が脳裏をかすめ、空手も蹴りが多いかと思っていたため、殆どの技が突き中心の試合(現在はルール改正で蹴り技も多くなっている)に、私のイメージとはかけ離れていたからです。

しかし、それでも蹴り技はある訳で、私の稽古(練習)は蹴り中心にやっていました。先輩が、「樋口と組手をすると蹴りばっかりで痛くなる」と冗談を言っていたことを思い出します。

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