熊本県テコンドー協会

『回想〜くまもとのテコンドー〜』は月一回の更新で連載しています。  一覧はこちら

回想 〜くまもとのテコンドー〜

  • 熊本県テコンドー協会
  • 会長 樋口 悦夫

はじめに

熊本でテコンドーに携って25年が過ぎ、様々な出来事と多くの人々のご支援を頂きながらテコンドー普及のために邁進してきましたが、熊本で最初にテコンドーを創めた者として、これまでの25年に及ぶ普及活動や、様々な思い出話等を私なりの視点で、回想録として紹介してみたいと思います。

先ずは、私の生い立ちからお話しします。

昭和32年生まれ、今年2月で満54歳となりました。私の生まれは、全国的に有名な温泉地「黒川温泉」から車で約30分程の静かな農村産山村です。水と空気は最高で、人々は、のんびりと自然に囲まれた環境の中、静かに平和に暮らしています。

父は大工、母は、自宅で小さな食料品店を営んでいました。兄妹は妹が一人、幼い頃は、野山を駆け巡り、友達と近所の神社やお寺の境内で暗くなるまで遊び、自然の恵みの中で、貧乏ながら楽しく想いで深く過ごすことが出来ました。

小学5年の時、父が伯父の商売を手伝うため、我が家は、住み慣れた産山村を離れ、阿蘇町内牧温泉に引っ越すこととなりましたが、なぜか私一人は、内牧に行くのを拒み両親に迷惑をかけたようでした。多分、友達と離れるのが嫌だったかもしれません。

引っ越し先の内牧では、田舎者の私(阿蘇町から比べれば)には、少々なじまないところもありましたが、それなりに友達も出来、野球や缶けりなどして楽しく遊んだものでした。

テコンドーとの出会い

定かではありませんが、内牧に来て1年ほどたった小学6年生当時だったと思います。

テレビの番組で「韓国空手テコンドー」と紹介された若い青年が、蹴りで板を割ったり、二人で蹴り合ったりと、その風景が今でも新鮮に鮮明に思い浮かびます。当時、空手は日本のもので、「なぜ、韓国に空手があるのか」と不思議に思っていましたが(のちに解明)、その蹴り技のカッコよさに、身震いしたのを、今でも昨日のように思い出します。

これが、私とテコンドーの最初の出会いでした。

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