熊本県テコンドー協会

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回想 〜くまもとのテコンドー〜

  • 熊本県テコンドー協会
  • 会長 樋口 悦夫

本場のテコンドーを求め!

テコンドーの県内普及を推進する中、昭和61年(1996年)、第6回全日本選手権大会に、洞田貫博文選手(旧阿蘇本部)が、バンタム級で出場しましたが、惜しくも2回戦で敗退し上位入賞は出来ませんでした。

大会には、福岡からもう一人、下川と言う選手が、参加していて、同じ九州同士と言うことで、色々と話をしました。当時、福岡県は、まだ、正式に日本テコンドー協会には、加盟しておらず、オープン参加として出場を許可されたと思いますが、福岡では、韓国の先生が教えているとのことで、「一度、先生と会って見て下さい」と私に話しましたので、私も、「本場、韓国の先生が、教えているのなら、是非ともお会いし、今後の交流が出来れば」と、一度会う事となりました。

金 天九師範との出会い

記憶は定かではありませんが、全日本選手権が終わり、さっそく福岡の金天九師範を尋ねることにしました。道場は、博多駅近くの民団のビル内で、5〜6名程度のテコンドー衣を着た生徒が、気合をいれながら、熱心に練習をしていていました。

金師範は、痩せ型ですらっとしていて、まだ、たどたどしい日本語で「福岡で、テコンドーを創めて、まだ間もないので、日本のテコンドーのことが、あまりわからない」と言っていましたが、熊本でテコンドーをしている事には、大変喜んでいました。

その後は、熊本から、田嶋慎一、洞田貫博文、工藤義明、坂本繁幸君らを連れて、博多まで何度となく通い、本場の韓国テコンドーを学ばせて頂きました。私がアメリカで習ったテコンドーとは、幾分違っていて、大変勉強になりました。練習が終わり、熊本への帰り道、熊本テコンドーの創成期を共に築いた同士達と美味しい博多ラーメンを食べた思い出は一生忘れることはありません。

残念ながらここ数年の間に、田嶋慎一、洞田貫博文、坂本繁幸の3名は、40代に若くしてこの世を去りましたが、彼らがテコンドーを愛し、その普及、指導に尽力したことは、忘れることはありませんし、その想いを今後の普及活動に、全力で取り組むことが、供養と考えています。

その後、金師範は、宗像郡岡垣町で、常設道場を開設、日本テコンドー虎会として福岡での普及活動を本格的に始めましたが、当時、まだ福岡県は日本協会に加盟していなかったため、日本協会への加盟条件が、推薦制度となっていたため、熊本はすでに2年前に加盟していましたので、私が推薦をすることとなり、福岡県民団役員の故金城重根氏を福岡支部長として推薦したいとの事で、さっそく推薦状を日本協会へ送り、昭和62年7月、福岡支部として日本協会から承認されました。

本格的な普及活動をする中、熊本との交流も更に活発となり、虎会主催の合宿、合同練習に参加させて頂きました。

思い出深いのは、合宿に参加した際、金師範手作りの韓国式焼肉を、皆で美味しく食べながら、日本のテコンドーの将来を語り合った事は、今では懐かしい思い出となりました。

その後、金師範とは、熊本県硬式空手道の大会等で、テコンドー演武を依頼したり、熊本での研修会を開いたりと、何かと大変お世話になりました。

最近は、全日本協会の理事として御活躍との事で、正しいテコンドーの普及発展に尽力されているに違いないと思っています。

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